失敗の本質
失敗の本質という本がある。1984年に書かれた本で、古典というわけでは無いが、名著として長く読まれ続けている本、らしい。
とても面白かったので、要約を試みる。
2012/06/24:以下、書きかけです。
- 作者: 戸部良一,寺本義也,鎌田伸一,杉之尾孝生,村井友秀,野中郁次郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/08
- メディア: 文庫
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目次
序章 日本軍の失敗から何を学ぶか
1章 失敗の事例研究
1 ノモンハン事件−失敗の序曲
2 ミッドウェー作戦−海戦のターニングポイント
3 ガダルカナル作戦−陸戦のターニングポイント
4 インパール作戦−賭の失敗
5 レイテ作戦−自己認識の失敗
6 沖縄戦―終局段階での失敗
2章 失敗の本質・・・戦略・組織における日本軍の失敗の分析
3章 失敗の教訓・・・日本軍の失敗の本質と今日的問題
結論を先に述べると、、というかこの本の文庫版のあとがきにすばらしい要約がある。
文庫版 P409
われわれにとっても日本軍の失敗の本質とは、組織としての日本軍が、環境変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということにほかならない。戦略的合理性以上に、組織内の融和を重視し、その維持に多大のエネルギーと時間を投入せざる得なかった。このため、組織としての自己革新能力を持つことができなかったのである。
つづいて、組織の変革能力に失敗した理由が、述べられている。
文庫版 P410
それでは、なぜ日本軍は、組織としての環境適応に失敗したのか。逆説的ではあるが、その原因の一つは、過去の成功への「過剰適応」があげられる。
まとめは、上記で完璧なのだが、それらを組み立てる各論も興味深いので、気になったところをまとめていく。
序章
第二次世界大戦における日本の大東亜戦争(太平洋戦争というと太平洋沿岸地域に限定された戦争のイメージとなるため、中国国内での戦いも示す事ができるこの名前を本書では用いている)で、日本の「戦い方」「負け方」を研究したものである。
大東亜戦争は、国力差から、敗北は必至だという議論は既に多いが、ひいき目に見たとしても、不利な状況の中で優れた戦い方をしたといえるものでは無かった。
この失敗を、組織としての日本軍の失敗として捉え、現代の組織にとっての教訓とするのが、本書の目的である。
ノモハン事件
本章冒頭にこの事件の問題点がSummaryされている。
作戦目的が曖昧で有り、中央とのコミュニケーションが有効に機能しなかった。情報に関しても、その需要や解釈に独善性が見られ、先頭では過度に精神主義が誇張された。
ノモハン事件は、日本軍における、初めての決定的な敗北であった。
Wikipediaによる解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(事件の経緯は省略する。)
当時、関東軍は満州国を統治するための軍であり、その役割においては有効に機能していた。
そのため、中央部とは意思統一がされて折らず独立した軍として対等の立場のような関係になっていた。
そんため、作戦立案時において、それに危険性があるにもかかわらず、中央部は
文庫版 P50
「一個師団位いちちやかましくいわないで、現地に任せたらいいではないか」
という立場を取る。これは作戦開始後も発生し、
P52
そこで関東軍は大本営の明確な命令指示がないことを利用して、具体的な規制が行われる前に、越境爆撃作戦を強行することを決定した。
というありあさまである。この作戦は大成功したが、その報告を中央にしたところ、以下のように批判され、中央との対立が激化することとなる。
P52
「大命により中止を求めなかったのは、関東軍の地位を尊重し、自主的に中止させようとしたためであるのに対して、関東軍は中央部の意中を無視して強行し、中央部の信頼を裏切った
決死の覚悟で、戦果を上げたにもかかわらず批判された関東軍は、対立を深めていく。
後に、ロシアの物量を前に、配線の色が濃くなっていくと、中央部は撤退を考えるようになる。それにともない、「事件処理要綱」をまとめるが、ここでも関東軍に強制する事は無く、参考資料として取り扱うこととなった。
また、関東軍の地位を尊重するあまり、作戦中止の厳命は無く、戦力の制限など微妙な表現を使い続けた。
作戦開始から4ヶ月、中央部は明確に撤退を命じ、戦闘は終結した。
わずか四ヶ月の間に、戦死者7696名という大きな損害を出したが、その作戦は上記のようにきわめて、曖昧の中で進行していた。
※ 念のため補足すると、本事件のロシア側の戦死者は、日本のそれを上回る。そのため、戦いの序盤においては、日本の現地での作戦は有効だったと考えられている。
2 ミッドウェー作戦−海戦のターニングポイント
冒頭。
P70
作戦目的の二重性や部隊編成の複雑性などの要因のほか日本軍の失敗の重大なポイントになったのは、不測の事態が発生したとき、それに瞬時に有効かつ適切に反応できたか否か、であった。
一般には、ミッドウェー海戦という呼び名の方が良く使われる。
Wikipediaによる解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6
先の事件が日本軍による初めての決定的な敗走であったとするならば、これは日本海軍にとっての初めての敗走であった。
(まだ書いている途中です)