はじめての災害ボランティア1

4/23、24と気仙沼に災害ボランティアに行ってきました。
初めての災害ボランティアでしたので、いろいろと記録しておきたいと思います。

まだ未完成ですが、取り急ぎ、何をしたかの記録をアップします。
細かい部分や追加の写真、地図は、後日、追加、修正します。
また、そのほか感じたことは後日アップします。

災害ボランティア用語集

ニーズ:被災者がボランティアセンターに出す、ボランティアを派遣して欲しいという要望の事を指す場合が多い。
マッチング:上記の「ニーズ」とボランティアの技能ややりたいことをつきあわせて探すこと。ボランティアセンターの主な仕事。

2011/04/23
0:30
前日に飲み会があったため、予定より送れて出発。N氏の車でOさんの家に向かう。

2:00
すぎ Oさんの家に合流し、テントなどを積み込み、出発。

この後、所用で寄り道もあり、出発時間は3:00頃。
また、朝方に1時間ほどの仮眠を途中でとった。

9:00頃
被災地に近づく。高速道路の道は徐々にぼこぼこに。速度は50km制限になる。(が、周りはそれほど普通と変わらぬ速度で走っている)
特別飛ばしていなければ問題のない程度のぼこぼこに補修してある。路肩には未補修の部分多し。

11:00頃
一関インターチェンジに到着

インターチェンジを抜けたあたりには、多少、崩れた建物がある。
が全体を通しては、被災地の雰囲気はない。
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12:00頃
一関〜気仙沼の間にあるローソンによる。一部物品が少ない感じはある。

12:30頃
気仙沼災害ボランティアセンター着。
その日は雨で、午後の仕事の受付はなし。用紙をもらって、帰る。
# 気仙沼はボランティアは現地8:30集合、という制度で事前のマッチング無しで現地に入ってもかまわないため、
# 時には仕事が無いことがある。

陸前高田にもボランティアセンターがあると聞いていたので、そちらに向かう。

が、気仙沼陸前高田の間の海側の道路は壊滅しており、道に迷う。
途中で、壊滅地域に迷い込んだ。(ちょっと進入してしまっただけで、引き返して、山道を行きました)


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川の中のトラック


がれきだらけ


結局には、県道34号線と国道343号線を抜けて、陸前高田に入る。
が、このあたりの景色に唖然。。


道路の右側に何もない。元は町があった。

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この荒野の中、なんと、ガソリンスタンドが営業中。写真にはないが、電気はないのか、手回しポンプで営業していた。

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この先、壊滅地域なので、山沿いの道をいく。
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自衛隊の野営地。陸前高田は壊滅が多く、一般ボランティアができることは少なそうだ。。
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自衛隊の車両が多い。
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給食センター2Fにボランティアセンターがあると聞いてやってきたのだが、23日(本日!)から移転したらしい。
というわけで、新ボランティアセンターへ

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泥が押し寄せていたが、桜は満開だった

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ここが新ボランティアセンター。
非常〜にわかりにくい場所なので、以下のGoogle Mapの場所を目当てにくると良いと思います。
隣には、「かねまつ建設」という会社がありますが、検索等では出ないようです。
横田小学校を目指すと近くまでいけますが、ボランティアセンターの場所は微妙に違います。(横田小学校からは見えません)

地図(後で)

ここでも雨のため午後の仕事の受付はなし。
開設したばかりのボランティアセンターで、体制が整っておらず、仕事もまばらのため、事前に連絡が必要とのこと。
登録のみして帰る。(後日、電話をすればマッチングしてくれるとのこと)

平地部分は壊滅でボランティアにできることはなさそうだが、川をさかのぼった部分には1F水没の建物もあり、そういったところに
ボランティアのニーズがあるものと想像される。
が、あまりの被害でボランティア受付の体制が整っていないのは確かのようだ。

気仙沼のテント村に行く。本日から開設されたものらしい。
が、気仙沼市街に入る直前に、少し道を間違えて、また別の壊滅地域にちょっと入ってしまった。(道がナビ通りに進むと間違いな場合があり、慣れるまでは、正直よく分からない)

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最初にみたのも気仙沼の壊滅地域だが、こちらはよりひどい。周りにはがれきしかない。
# ここはもちろん、一般車進入禁止です。Uターンのため、一瞬入っただけです。(道が、急に「この先立ち入り禁止」になったため)

テント村の月立小学校。廃校跡らしい。

地図(後で)

ここで、寒空でかつ、雨の中、テントを張るのを躊躇する。近くのホテルに電話をしたが、電話が通じないか、満室のどちらか。
半ばあきらめて、町の方に行く。

見つけたホテルにふらっと入ったところ、今日はキャンセルが出て泊まれると言うこと。速攻で、チェックイン。

近くのラーメン屋に繰り出す。
ここまで、昨晩の0:30の出発から、1時間の仮眠以外は、ほぼ無休。17時間がたっていました。

飯を食った後、ホテルの近くのセブンイレブンへ。
驚いたことに、ここのコンビニはものであふれていた。都内のコンビニに比べて遜色が無いどころか、ずっと多くのものが
所狭しと並んでいた。
おそらく、被災者や災害復旧作業者が、食事や日用品、晩酌を買うための場所が他にないため、その役割を一身に背負って営業しているんだろうと思う。
被災者が優先なのは当然だが、賞味期限が短いものも豊富に入荷されていたため、気仙沼でボランティアをする場合は、無理に食料を持ち込まずとも
コンビニ弁当で過ごすことができそうな感はした。

その後、9時には就寝。不眠不休で東京から来たため、あっと言う間に眠りに落ちた。

2011/04/24

6:00頃
起床。
昨日と反して、今日は快晴。仕事ができそうだ。

7:00頃
ボランティアセンターに出発。

8:30
受付開始

9:00頃
オリエンテーション開始。釘の踏み抜きが非常に多いとのこと。踏み抜き防止の長靴は必須。

9:30頃
マッチング開始。
ちょっと驚いたのは、ボランティアセンターの方が、「がれき撤去 男性10名〜」と言って、その場で希望者を募る。
その声に、ボランティアが群がるというちょっと変な光景が繰り広げられた。
今の規模では効率的だけど、ボランティアが増えると大変かなと思う。

僕らは魚町の「がれき撤去」の仕事になった。
# ちなみに、作業中は撮影禁止なので、写真等はありません。

ボランティアセンターが用意した車で現場に向かう。

10時頃
魚町は込み入った湾になっていて、津波で浸水したが、勢いが弱いためか、壊滅した家屋は少なかったらしい。
作業内容はいわゆるがれき撤去ではなく、溝に詰まった泥の除去だった。ひたすらスコップで掘って、土嚢に詰める作業の繰り返し。重労働だったが、それほど先の見える作業だった。

11時頃
溝の作業に見通しが立ち始めた頃から、家主さんの要望で、別の場所の作業を開始。こっちの方が大変だった。建物と建物の間にたまった泥の書き出し。量は消して多くないが、ゴミと瓦礫が袋小路となった隙間に流れ込んでおり、それらをまず、除去しなければならない。しかも、狭い場所なので、並列作業には限界がある。狭い場所でなかなか進まない作業だったか、大きなゴミから少しずつ、ゴミや瓦礫をのけていった。そして、大きなゴミをのけた後にで的なとは、大量のヘドロ。非常に臭くどろどろした状態で堆積しており、前日の雨の水を吸ってい
て、スコップにべっとりとまとわりついた。

12:30
現場で昼飯。カロリーメイトをボリボリと。
休憩をとりながら海を眺めていると、湾が入り組んでおり、かなり良い景色である事に気づいた。是非、復興したときにまた来てみたい。

2時頃
求職後も、臭く狭い現場で、ひたすらヘドロと格闘し続け、午後2時頃には一通り、キレイにすることができた。
その後、元の現場に戻り、溝の掃除を継続。

3時頃
作業終了。家主さんに報告して、ボランティアセンターに戻る。

ボランティアセンターには泥を落とすようの水場があり、どろどろになった靴をキレイに落とすことができた。水が貴重な場所では思うように泥を落とせないらしいので、これはありがたい。


借りていた機材を返却する。

その後岐路へ。
帰りは順調だったので、17時にで、晩飯の1時間を挟んで、1:30頃に到着。